アルジェリア オラン。 ペスト (新潮文庫) カミュ (著), 宮崎 嶺雄 (翻訳)を読んでいます:新型コロナウイルスのパンデミックは来るのか?

オラン

アルジェリア オラン

気候は地中海に面した北部の地中海性気候と南部に広がる砂漠の砂漠気候にはっきり分かれます。 首都アルジェをはじめとする北部では四季が認められ,冬には雪・雹が降ることがあります。 南部は極端に降雨が少なく,冬でも日中は35度を越える高温乾燥地帯です。 当地の医療レベルは,アルジェ市と地方都市,さらに南部砂漠地域とで大きく異なります。 アルジェ市内には国立大学病院,ポリクリニックの公立病院,クリニックと呼ばれる総合私立病院,個人医院が多数ありますが,一般に公立病院は非常に混雑しており,救急外来でも待ち時間が長く,またアラビア語しか理解しない受付もあります。 公立病院での診療費は,アルジェリア国民と同様に,外国人についても居住者,旅行者とも無料で,身分証明書がなくても救急外来を受診することができますが,医師が緊急と判断した場合を除き,X線,CT撮影や血液検査を受けるには医師の指示書を持って市中の検査センターへ行き(検査は有料),結果を持って再度病院外来を受診するシステムとなっているため,診察結果が出るまでに1日,あるいは数日を要することになります。 出来る限り外国人がよく利用する私立医療機関で受診されることをおすすめします。 公用語はアラビア語ですが,都市部ではフランス語が広く話されています。 英語はほとんど通じません。 概して私立病院は公立病院に比べ,衛生的かつ医療設備も整っていますが,日本や欧米に比較すると,医療技術水準や医療サービスはまだ遅れていると言わざるを得ません。 医療従事者の衛生観念にも不安があり,院内感染等への懸念もあります。 入院,手術を要する病気にかかった場合は,応急処置以外,可能な限り,フランス等国外で治療を受けられた方がよいでしょう。 そのためにも,必ず渡航前に,緊急移送費用がカバーされた海外旅行傷害保険に加入されることをお勧めします。 (1)花粉症 アルジェでは2月から5月にかけて花粉によるアレルギー性鼻炎・結膜炎の症例が増えてきます。 (2)感染性腸炎 当地での生活に慣れ,日頃から十分注意を払って生活している長期滞在者でも,時々急性腸炎を発症することがあります。 飲料水や食事には十分注意し,不衛生な食料品店,レストランを避けてください。 下痢,嘔吐などの症状が出現した場合,症状が遷延すると,脱水による発熱,脱力や意識障害など合併症を伴ってくる恐れもありますので,早めに医療機関を受診してください。 (3)交通事故 当地での交通事故死者の人口比率は日本の約3倍とされています。 手術,輸血が必要な救急外傷への対応は,都市部以外では極めて困難です。 都心部でも渋滞が日常化しており,救急車による搬送も時間を要する恐れがあります。 (4)動物が媒介する病気 アルジェ市内に滞在する限り,ほとんど感染の危険はありませんが,地方都市訪問予定がある場合は下記にご注意ください。 サシチョウバエの媒介する原虫が,皮膚,粘膜,内臓などに寄生する風土病,リーシュマニア症が,農村,山間部などで発生しています。 ワクチンが無いので,刺されないように予防することが第一です。 南部のガルダイア県などで,マラリアの国内における感染例が毎年数例報告されています。 南部を旅行する際には,蚊に刺されないよう十分ご注意ください。 旅行中または旅行後(潜伏期間2-4週)に発熱,悪寒,頭痛,筋肉痛などの症状が出現した場合は,医療機関を受診してください。 狂犬病は,2006年に13例の国内発生例が報告された後,報告はありませんが,リスク国であることは続いています。 アルジェ市内ではあまり野犬を見かけませんが,市外を訪問する場合や動物(犬,猫,山羊,羊,牛等)との接触が予想される場合は,渡航前のワクチン接種をお勧めします。 (1)日焼け・熱中症 日差しは年間を通じて強いので,帽子,サングラス,日焼け止めクリームを使用してください。 夏の外出時は,常にミネラルウォーターを携行し,水分補給に努めてください。 大量に汗をかいた時は,同時に塩分も補給してください。 (2)飲料水,食品 アルジェ市内では基本的に水道水は飲用可能ですが,石灰分が多く,建物の配管が古い場合もあるので,濾過して使用するかミネラルウォーターの使用をお勧めします。 地方では不十分な消毒で飲用に適さない場合があります。 食料品店で食品を購入する場合,古いものが置いてあることも稀でないので,製造年月日をチェックし,開栓されていたり包装が破損したりしていないかどうか,よく確認してください。 外国人客の多い,料金が高めのレストランは比較的安全ですが,地元客が多い食堂,ファストフード店,アイスクリーム屋などは,食材の鮮度や料理人の衛生観念に問題があることも少なくないので,十分注意してください。 (3)有害動物 南部では毎年約5万例のサソリ刺傷があり,数十名の死亡例があります。 危険な2種類は,共に黄色から黄土色のサソリで,暑くなってくると発生し,7-8月をピークに4月から10月まで,アルジェリア南部にはどこにでも生息しています。 靴の中・石の下・物陰に隠れているので十分注意してください。 刺されたら直ちに抗血清(Serum antiscorpionique, IPA)の投与を受けてください。 また毒蛇としてはCerastes cerastes (Saharan horned viper),Vipera lebetinaが挙げられますが,咬傷は少なく,抗血清は,通常,軍隊の駐屯地に保管されています。 (1)赴任者に必要な予防接種 入国時に義務づけられている予防接種はありません。 以下の予防接種を状況によって受けられることをお勧めします。 成人:破傷風,A型肝炎,B型肝炎,狂犬病,腸チフス,季節性インフルエンザ• 小児:上記に加え,日本で実施されている定期の予防接種(ジフテリア,百日咳,ポリオ,麻疹,風疹,結核(BCG)),任意の予防接種(おたふく風邪,水痘) ただしアルジェリアではA型肝炎,風疹,ムンプス,水痘,コレラ,日本脳炎,ダニ脳炎,ロタウイルス,ヒトパピローマウイルス,腸チフスは手に入らず接種出来ません。 (2)現地の小児定期予防接種の一覧 初回 2回目 3回目 4回目 5回目 6回目 7回目 8回目 DTCOQ 注1 3ヶ月 4ヶ月 5ヵ月 1年6ヶ月 ポリオ 注2 出生時 3ヶ月 4ヶ月 5ヶ月 1年6ヶ月 6歳 11~13歳 16~18歳 BCG 出生時 B型肝炎 出生時 1ヶ月 5ヶ月 麻疹 9ヶ月 6歳 Hib 注3 3ヶ月 4ヶ月 5ヶ月 1年6ヶ月 DT 注4 6歳 11~13歳 16~18歳 10年毎• 注1:ジフテリア,破傷風,百日咳,の3種混合• 注2:経口ワクチンと不活化ワクチンがあります。 注3:インフルエンザ菌b型• 注4:ジフテリア,破傷風の2種混合 いずれも,接種時期,回数が日本と異なり,接種計画を立てる際,注意が必要です。 (3) 小児が現地校に入学・入園する際,予防接種の証明書の提出を求められることがあります。 母子手帳をお持ちください。 アルジェ (1) Clinique CHAHRAZED(クリニック・シャラゼッド) 所在地: 4, Lot. Allioua Fodil, Cheraga 電話:023. 47 Fax:021. 14 概要:総合私立病院。 耳鼻咽喉科以外ほぼ全科あり。 24時間対応可能な救急外来あり。 夜間は産婦人科,小児科,蘇生科,放射線科の当直医4人体制。 (2) Clinique Al AZHAR(クリニック・アラザール) 所在地: 4 Djenane Achabou, Dely Ibrahim 電話:056. 167. 02 Fax:021. 29 概要:婦人科以外の科がそろう私立病院。 CT,MRIあり。 透析室あり。 救急外来がありますが,小児の救急受診は不可。 外国人もよく利用しています。 感染症は国立病院に紹介されます。 (3) Chirurgien dentist, Docteur MEDJAOUI(シルルジャンダンティスト,ドクトゥール・メジャウイ) 所在地: Cite des Asphodels, Batiment B2, No. 12 Ben Aknoun 電話:021. 60 概要:女性医師の歯科クリニック。 英語可。 日本人の診療実績あり。 小児歯科にも対応。 義歯の作成はフランスに発注しているため,数週間を要します。 44~47 概要:総合私立病院。 眼科以外ほぼ全科対応。 CTあり。 アンナバ (1) Clinique AL FARABI(クリニック・アル・ファラビ) 所在地: 23,rue Ahcene Chaouch Mohamed Kamel,ANNABA 電話:038. 00, 038. 95 概要:入院病床のある私立病院。 放射線科が充実。 MRI,血管撮影装置あり。 51 概要:市街中心地にある私立病院。 外科,産婦人科,小児外科,整形外科,泌尿器科,耳鼻咽喉科。 一般診療は要予約。 救急は24時間対応可能。 ガルダイア (1) Clinique des Oasis (クリニック・デ・オアジス) 所在地: rue hai Bougdema,Ghardaia 電話:029. 99 概要:ガルダイアの街を見下ろす丘の上にある総合私立病院。 医療設備は整っており,救急外来は24時間対応。 診療契約している外国企業,外国人の受診も多数。 眼科のみ別棟。 敷地内にホテルがあります。 下記以外にも「世界の医療事情」冒頭ページの一口メモ(もしもの時の医療フランス語)を参照願います。 フランス語• 腹痛: mal au ventre (マルオヴァントゥル)• 傷: blessure (ブレッシュール)• 具合が悪い。 : Je me porte mal (ジュムポルトゥマル)• 病院へ連れて行って欲しい。 医師:タビーブ• 飲み薬:ダワア• 注射:ホクナ• 頭痛:ワジャア・フィル・ラアス• 胸痛:ワジャア・フィル・サドゥル• 腹痛:ワジャア・フィル・バタン• 下痢:イスハール• 発熱:ホンマ• 吐気:ガサヤーン• 傷:ジョルハ• 具合が悪い。 :アナ・マリド• 病院へ連れて行って欲しい。 :アディニ・イラ・アル・ムスタシュファ.

次の

アルジェリア戦争

アルジェリア オラン

3 km Batterie du Ravin Blanc 1. 5 km Cap Blanc 1. 5 km Gare de Karguentah 1. 5 km Oran Ville 1. 5 km Pointe Mona 1. 5 km Fort Lamoune 1. 5 km Marabout Santa-Cruz 1. 6 km Sidi Abd el Kader Moulay 1. 6 km Sidi Abd el Kader Morsli 1. 6 km Gares Maritimes 2. 1 km Gare Maritime 2. 1 km Gare Marine 2. 1 km Oran Marine 2. 1 km Fort Santa Cruz 2. 1 km Les Palmiers 4. 5 km Grand Lac 5. 5 km Batterie du Santon 5. 9 km Fort du Santon 5.

次の

オラン, オラン, オラン, アルジェリア

アルジェリア オラン

北アフリカのマグリブに位置し、北は地中海に面し、東西南はチュニジア、リビア、ニジェール、マリ、モーリタニア、モロッコと国境を接する、アフリカ大陸最大、世界でも10位の面積を持つ広大な国です。 紀元前のカルタゴにさかのぼる歴史を持ち、土着のベルベル人によるヌミディア王国、ローマ属州化、イスラムとアラブの到来、イスラムの各王朝時代、オスマントルコの属州化、フランス植民地時代、そして100万人に及ぶ死者を出した血みどろの対仏独立戦争(アルジェリア戦争)を経て1963年に独立。 独立後、社会主義国として歩み始めましたが、クーデターや隣国との紛争、内戦、イスラム原理主義過激派によるテロの頻発などを経験、2010-2011年には「アラブの春」の影響を受けた民主化要求の波を受けましたが、散発する「イスラーム・マグリブ地域のアル=カーイダ組織」によるテロを除き、国内状況は徐々に沈静化に向かっています。 観光的な見地でいえば、遺跡、町並み、オアシス、砂漠、岩壁画どれをとっても一級品の見所に溢れていますが、現在の国内情勢を考えると自由に・安全に動けないのが残念です。 まず遺跡では、地中海沿いにあるカルタゴ時代に建設されたティパサや、やや内陸に入ったローマ遺跡のティムガッド、更に標高900mの尾根に建設されたローマ都市ジェミラの遺跡景観は秀逸で、ともに世界遺産に指定されています。 イスラム時代の遺跡・建造物としては、10~11世紀のサハラ交易時代に建設されたベニ・ハマッドの要塞やオアシスの都市ガルダイア近郊のムザブの谷に建設された5つの要塞都市が見所で、その都市構想、地下灌漑水路、都市を守る城壁等今に通じる見事な建築技術を残しています。 また、リビア国境に伸びるタッシリ・ナジェール台地に広がる岩絵・線刻画群の数々は、さながらサハラの野外美術館の趣があります。 加えて、侵食された奇岩が屹立するさまは、自然の造形物以上の凄さを感じずにはいられません。 町歩きで面白いのは、やはりアルジェ市内とカミュの小説「異邦人」で名高いオランの町。 7つの丘で知られるオアシスの町ガルダイア、更に南部の高原の町タマンラセットでしょうか。 フランス風カフェで街往く人々を見やるのも面白いです。 「治安面で問題アリ」とイメージされがちなアルジェリアですが、地元っ子の笑顔をみるにつけ、日本での情報は…?と考えざるを得ません。 可愛いオアシスの町としては、南部のアイン・サラーがお勧めです。 大砂丘群ももちろん、一級品以上の見ごたえのものが幾つかあります。 旅行者が近づきやすい、ベニアベス周辺、エルゴレア周辺、ジャネット周辺の砂丘群のどれかを是非訪問してみてください。 英雄メッサリ・ハジが考案した。 緑は繁栄、白は平和、赤は勇者達の血の色を表しています。 気候 北部海岸地帯は温暖な地中海性気候で、5~9月が乾季、10月~4月が雨季。 年降水量は600~800mm程度。 北部アトラス山脈の北側やオアシスにわずかに耕地があるが、大部分は砂漠や岩山。 内陸は広大なサハラ砂漠で国土の約88%を占める。 アトラス山脈以南の内陸高原はステップ気候、南部は砂漠気候になる。 交通事情 国土が広いので、国内の足は飛行機が主となります。 国営のエアー・アルジェーの他、民営の会社が数社ありますが、まだ力不足の気がします。 国営にしても予約システムは、信頼性に欠けるので、なるべく現地の業者に予約や発券も依頼した方が良いでしょう。 大都市間を結ぶ長距離バスも運行されています。 鉄道網は、地中海沿岸の海岸部とアトラスの山中に入る路線があります。 但し、治安が回復するまで、国内の移動に地上の輸送機関の使用は、お勧め出来ません。 アルジェ市内は、バスとタクシーが、一般的です。 電話のかけ方 日本からアルジェリアへ : 国際電話認識番号+213+市外局番(0を取る)+電話番号 アルジェリアから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号 アルジェ アルジェリアの首都で、同国最大の都市であるアルジェの歴史は、紀元前12世紀のフェニキア時代に遡ります。 以来、ローマ、ヴァンダル、東ローマ、アラブ人とあるじを変え、現在のアルジェの基礎が作られたのは、10世紀にこの地を支配したベルベル人のズイール朝時代。 現在のアルジェは、海沿いのコルニッシュ通り沿いにフランス植民地時代の街並みが立ち並び、裏の山手側には「カスバ」が広がっています。 カスバは現存するアルジェの最も古い地区で、丘の斜面に迷路の様に入り組んだ、城塞のような都市が作られ始めたのは、16世紀に赴任してきたオスマントルコのパシャ(総督)の時代で、他のイスラム都市では「メディナ(旧市街)」に相当します。 アルジェリアが1830年にフランスの植民地となった後、大部分はヨーロッパ風の町並みを作るために取り壊されましたが、第二次大戦後から1962年に独立するまで、この一帯がパルチザン(対仏地下抵抗運動)による独立の戦いの「隠れ家」となりました。 映画「アルジェの戦い」はここが舞台です。 カルタゴの時代から、ローマ、ビザンツ帝国、ウマイヤ朝、オスマントルコ、フランスと、地中海の要衝であったアルジェは数々の国の支配下、影響下に入りながらも、したたかに独自性を保って生きながらえてきた街は、数々の国の文化の影響が重層的に認められる、文化的にも興味深い都市でもあります。 1992年に世界遺産に指定されて以降、伝統的なカスバの町並みの保存に力が注がれ、昔ながらの住居の復旧が進められています。 オラン アルジェリアは、アラブ音楽と古来よりのベルベル人の民謡を融合させた音楽『ライ』の発祥の地であり、オランがその中心地(発祥地)として有名です。 アラブ風建築の上に、かつて統治していた、スペイン、フランスによって付け加えられたオランの洗練された街並み。 パリなどと同様オープンエアのカフェが多く、さんさんと照りつける陽光とサラサラと音を立てて降り注ぐサハラの砂の音を聞きながらカフェでコーヒーを飲める贅沢な町です。 こんな昼の顔と打って変わって、夜のオランはナイトクラブのステージが賑わう街でもあり、ショルバ(アルジェリア風の魚スープ。 美味!)などでお腹を満たしたあと、ワインを飲みつつステージで哀愁漂うライ・シンガーの歌声を聴く、こんな休日がお勧めです。 ライ・ミュージックがここから生まれたように、イスラム主義運動の潮流とは別の若者たちの意識が、このアルジェリア第2の都市に独特の自由な雰囲気を与え、他の都市と違って街中にはバーやクラブがあり、酒を売る店も多く、ディナーにライ・ミュージックを聞かせるホテルもあります。 こうした点で、コンスタンティーヌやアルジェとは異なる情景を見ることができます。 現在の町の名前「ティパサ」はアラビア語で「荒廃した都市」を意味しています。 ローマとのポエニ戦争の後、ローマの支配下に入り、クラウディウス帝による軍事拠点化から、都市に発展しました。 都市は海を見下ろす3つの丘の上に建てられましたが、中央の丘に建てられた家々の痕跡はほとんど残っていません。 かわりに、西の丘の大バシリカとアレクサンデル大聖堂、東の丘の聖サルサ大聖堂の3つの教会堂、2つの墓地、浴場、劇場、円形闘技場などが保存状態よく残されています。 町の発展は主に穀物やオリーブなどの農作物によって支えられていたようです。 ローマ帝国の没落後、都市は緩やかに廃れ、5世紀にヴァンダル人によって破壊された後、一時は東ローマ帝国時代により復興されましたが長くは続かず、6世紀末には廃墟と化していました。 遺跡は、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、カピトリウム神殿、セプテミウス・セウェルス帝の神殿、フォーラム、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが残り、現在ではアルジェリアで最も美しい遺跡とされています。 5世紀のヴァンダルの侵略によって都市は没落、6世紀には東ローマによって再建されましたが、7世紀にはベルベル人の侵攻を受け、放棄されました。 その後、8世紀に起きたとされる地震で砂に埋もれ、人が寄り付かなくなっており、結果的に砂に埋もれた遺跡群は1880年にフランスの考古学者によって発掘されるまで新たな都市化の波を被ることがなく、良好な保存状態を保ち、「アフリカのポンペイ」と呼ばれています。 イスラムの遺跡/べニ・ハマッドの城塞 アルジェリアのムシラにある世界遺産の考古遺跡。 城塞は、ホドナの山岳地帯の標高1000m以上のところにあり、アルジェを創建したブルッギン・イブン・ジリの息子でハマッド朝の創始者ハマッド・イブン・ブルッギンが1007年に建造したハマッド朝の首都です。 都市は交易の中継都市として北アフリカで最も栄えた町のひとつになりましたが、1090年にエジプトのファーティマ朝から送り込まれたバヌーヒラール族(上エジプト出身のベドウィン)の北アフリカ侵入によって廃れ、1152年にはムワッヒド朝によって一部が破壊されました。 この破壊を生き延びた城壁、モスク、ミナレット、宮殿群などが残されています。 特にモスクはアルジェリアで知られているものとして有数の大きさを誇り、13の本堂と8つの梁間のある巨大礼拝堂があり、高さ20mのミナレットは、セビリャ大聖堂のヒラルダの塔に並ぶといわれています。 発掘で出土した陶器類や、宝石装飾品類、貨幣類などは、アルジェやコンスタンティーヌの博物館に展示されています。 ガルダイアとムザブの谷 ムザブは、アルジェの南方600kmのアルジェリア中部ガルダイア県にある地方名。 標高300m~800mの岩だらけの高原で、白亜紀に形成された地形には、黒や褐色の岩石が散らばり、ワジ(枯れ川)がこの高原を北西から南東へと貫いています。 ムザブの最初の住人は新石器時代にまで遡る、洞穴に暮らす人々だったといわれ、以来25の町々が現れては消えていきました。 9世紀以降、無人だったムザブを、ムザブ人とも呼ばれるイバード派のベルベル人たちが避難所として利用していました。 18世紀以降にはナツメヤシ、塩、象牙、武器、奴隷などを取引するサハラ交易キャラバンの寄留地として重要さを増していき、ムザブ人たちは北方のアルジェやチュニスといった街に居を構え、商才を発揮するようになります。 フランスの侵入後、1873年にムザブの7都市連合はフランスとの間に自治に関する条約を締結しますが、遊牧民の度重なる侵入の結果、1882年に完全なフランスの植民地下に入り、灌漑システムなどが整備されました。 独立を勝ち取った後は、現在もガルダイアを中心に南部アルジェリアの交易ルートの要衝となっています。 中心地ガルダイアは、「サハラの宝石」と称えられる非常に美しいオアシスで、モスクのミナレットを中心に、パステルカラーの家々がピラミッド型に築かれ、その都市計画はフランスの建築家ル・コルビジェに大絶賛されました(世界遺産)。 タッシリ・ナジェールの岩画と岩画トレッキング かつてサハラが緑であった先史時代に描かれ、世界遺産にも指定された岩画や線刻画の数々・・・。 岩画トレックの標準行程は4泊5日でセファールまで向かう形となっています。 もちろん、時間の無い方や健脚向けには、3泊4日の速攻日程やセファールまで行かず、途中で引き返す2泊3日の省略日程も可能です(要は、訪問者のスケジュール次第です)。 逆に時間を割ける方には、別方向にあるジャバレンへの岩画トレックもお勧めです(+1泊2日以上必要)。 歩きつかれた時、歩行困難になったときでも、助けてもらえるシステムは、未だ完備されていません。 アセックラム高原 タマンラセットからの石、岩、礫の道を約90km走ると、アセックラム高原に到着します。 周囲を鋭く突き出た峰々に囲まれ、岩肌の色も独特です。 荒涼とした高原のさらに高い丘にフランス人シャルル・ド・フーコー神父が建てた小さな境界があります。 トゥアレグ人を愛し、彼らの文化や生活・風俗を学び、独力でトゥアレグ語の辞書まで編纂した(キリスト教の布教のための滞在でしたが、それには失敗し、トゥアレグの少年に殺害され最期を迎えます)彼の意思を継ぎ、今でも何人かの修道士がここで学んでいます。 この辺りは、標高2500mに及び、夜ともなるとかなり冷え込みますが、澄んだ星空は一級品。 さらに教会からの夕陽・朝日もサハラで最も美しいといわれています。 旅行のテーマからツアーを探す• 出発月からツアーを探す• アフリカの国からツアーを探す•

次の