劇団 四季 コロナ ウイルス。 【劇団四季公演中止】新型コロナウイルス感染症対応(4月3日追記)

演劇業界が直面するコロナウイルス問題 すべての劇場に灯りがともることを祈って|Real Sound|リアルサウンド 映画部

劇団 四季 コロナ ウイルス

現在は アルコール消毒液を置くことや スタッフのマスク使用の理解を得ることなど書いてあり、キャッツの握手の中止やファミリーミュージカルの1部の作品の見送りなどの中止が書いてありました。 計画運休で公共交通機関が全面ストップとか国からコンサートや劇場公演の中止要請があれば 休演になると思いますが、基本しないように思います。 台風でも公共交通機関が動いていて 劇場へ観客が着くという事になれば公演はすると思います。 私は秋劇場で浜松町の駅前でタクシーが水没した集中豪雨でも300名ほどの観客がいて公演を体験したことがありました。 四季の事情で席がなくなったときは 当日、チケット代返金の上、他の同等の席へ当日の公演に案内され観劇したことはありました。 私は 4番はないと思います。 今回のような社会的な事情であればほかの日への振り替えになるのではないと思います。 もしあった場合、アラジンのような人気作品でも 事故席とかライセンサーの席とか業務用にある席とか何かしらの席を用意される場合はあるかと思います。 同等の席を案内されると思いますが、希望通りにならないかもしれません。 詳しく書くとすれば、返金もしくは他の公演日に振り替えとなると思います。 昨年、台風で一部演目が休演になった際は、中止になった公演のチケットは返金、実施する演目で公共交通機関などが動かないなどで見に行けない場合は他の公演日に振り替えという対応でした。 ですから、コロナで休演となった場合も同じような対応がなされると思います。 ギフトコードで返金の可能性もないとは言い切れませんが、チケットを購入した方は劇団四季ファンの方だけではありませんから、そういった方とトラブルにならないように無難に返金という形になるのではないかなと思います。 延期の可能性はないと思います。 ロングラン公演ですと、数ヶ月〜半年分などチケット販売済みだったりしますから、延期するにもできない状況だと思います。 劇団四季以外の2週間程度の公演などであれば延期の可能性もありえるかもしれませんが、劇団四季の公演の場合、延期の可能性は低いと思います。 延期となっても「その日は見にいけない」となり結局は返金という人も多くなりそうですしね。 劇団四季の対応はしっかりしていますから、「休演となりますが返金も振り替えもありません」といったことはないと思います。 台風の時の対応から考えてもそう思います。

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新型コロナウイルスによりミュージカル・舞台観劇も、続々と中止発表!!

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そして私は、浅利の次のような口癖を 憶 ( おぼ )えている。 日本の演劇界にはアマチュアが多いが、ここではプロフェッショナルが生きている。 羨ましいと思ったし、日本でもこう言えるようになりたいと心から願った」 また浅利は、敬愛したジャン・ジロドゥのパートナーだった演出家のルイ・ジュヴェの言葉、「恥ずべき崇高さ、偉大なる屈辱」を座右の銘としていた。 それは次のような内容だ。 演劇ほど色々な問題に 溢 ( あふ )れているものはない。 芸術的なことから、経済面までありとあらゆる問題を抱えている。 それにもかかわらず、本質的な問題はたった一つしかない。 それは「当たり」の問題だ。 今日の劇場の 賑 ( にぎ )わいがなければ、我々芝居者は主演俳優から裏方の一人まで生きていくことはできない。 したがって、当たりを取るためには、時に時代の流行に身を屈さねばならないこともある。 崇高な思いだけでは観客は集まらない。 演劇には、恥に 塗 ( まみ )れるような観客獲得の努力が必要になる。 或 ( ある )いはその時に屈辱を感じることがあるかもしれないが、これも偉大な芸術家の行為なのだということか。 健全な社会の良識と民力を信じ、 真摯 ( しんし )に向き合い、寄り添いながら芸術を営む決意ともいえる。 だから我々はこれまで、「プロの演劇人として生きる」という浅利の祈りを受け継ぎ、何度も恥に塗れながら、「当たり」を求めて全力で走ってきた。 映像産業やタレント業など周辺の仕事には脇目も振らず、もちろん資産で財テクすることも考えなかった。 どうしたら劇場でのお客様の感動を最大化出来るかを考え、そこに全ての資産とマンパワーをつぎ込んできたのだ。 演劇に注力した経営を続けてきた背景には、劇団創立者の思想がある。 コロナウイルスは、我々の、この「一丁目一番地」を襲った。 演劇にこだわり、プレゼンスを高め、更に発展、拡大を目指す経営を守ってきたことが、逆にウィークポイントになってしまった。 そして今日、コロナウイルスの感染拡大を助けるのも、この「満員の客席」、「当たり」なのである。 お客様のいない演劇はあり得ない。 ジュヴェの思想の通り、演劇は社会に寄り添う宿命を持った芸術だ。 芸術の尊厳や危機だけを訴え、自粛要請を無視して公演を続ける訳にはいかない。 劇団四季はいま、創立以来体験したことのない「背理」と向き合い、戦っている。 劇団四季には1400人の所属員がいる。 そして今、全公演は止まっている(4月28日現在)。 数か月間、売り上げの 殆 ( ほとん )どを失ってはいるが、我々には少々の内部留保がある。 これを頼りながら、いつか来る再開の日を信じて耐えている。 幸いにして借り入れはないし、稽古場などの資産もある。 しばらくは大丈夫だろう。 しかし事態が長期化すれば、いずれは劇団四季の継続を脅かすことになる。 詳しくは省くが、「ライオンキング」や「キャッツ」など何十年も連続して続いているロングラン公演は、四季のような運営方針でなければ実現できない。 想像したくはないが、万一我々が倒れたら、誰でも楽しめ、いつでも 観 ( み )に行ける舞台が日本から消えるかもしれない。 劇団四季のみならず、演劇を支えている芸術家たちが失われる可能性もある。 芸術の世界では、人材育成に 途轍 ( とてつ )もなく長い時間がかかる。 作家やデザイナー、ダンサーやシンガー、演奏家などは、生涯を懸けた長い修練を通して技術を身につけた人たちだ。 日々の訓練や表現の場を奪われれば、歌唱や舞踏、演奏などの技術は必ず失われる。 そして一度失ったものを取り戻すには、再び長い時間がかかる。 簡単には育たないし、代替も不可能だ。 フランスでは、民間劇場に対して上限500万ユーロ(約6億円)の緊急支援を実施するそうだ。 ドイツでは、連邦政府のグリュッタース文化大臣が、「文化は良き時代においてのみ享受される 贅沢 ( ぜいたく )品などではない。 ある一定期間、文化活動を諦めなければならないとすれば、それがどれほどの喪失であるかも、我々は理解している」と発言し、芸術、文化、メディア産業におけるフリーランス及び中小の事業者に対する大規模な支援を約束した。 日本でも芸術への救済策が検討されているが、欧米に比べると規模の小ささは否めないように感じる。 私が目にしたものでは、「文化芸術、スポーツイベントを中止した主催者に対して、観客が入場料の払い戻しを請求しなかった場合、放棄した金額を寄付金控除する税制措置」や、「コロナ収束後、官民一体型の消費喚起キャンペーンの実施。 具体策として、チケットを購入した消費者に対し、割引券などを付与する」などがある。 特に後者は、コロナ収束まで芸術団体が生き残っていたら、という前提付きの支援だ。 何をどのように救済するのかを決めるのは難しいに違いない。 国や自治体が、劇場芸術を直接支援するためには、恐らく様々な道程を歩まねばならないだろうことも想像は出来る。 その上でも、 敢 ( あ )えてお願いしたい点が三つある。 一つ目は、中止した公演への金銭的支援。 実害の5割でも構わない。 これが示されれば、無理に興行を行う団体は少なくなるはずだ。 結果として感染の収束を早めることにも 繋 ( つな )がる。 二つ目は、公演実施可能な条件を「ガイドライン」で示してほしいということ。 現下の状況では自粛もやむを得ないと思う。 しかし、状況が落ち着いて再開が議論されるようになった際には、どのような種類の公演が、どんな対策をして臨めば出来るのかを、ぜひ示してほしい。 これによって救われる業界や団体は必ずあるはずだ。 この二つは、「ぴあ」の矢内廣社長がインタビューで話されていたことだが、私も全く同感である。 三つ目は、感染防止策の厳格な運用である。 国や自治体には、収束を早める施策、努力を最大限のスピード感をもって、徹底的に行ってもらいたいと思う。 個人情報の扱い方や法制度の違いは分かっているが、アメリカや欧州、韓国、台湾などの施策に見習うべきものはないだろうか。 外出自粛を国民に「要請」し続けるという方法は、指示に忠実な日本人に合っているかもしれないが、街にはまだ人がいる。 このままでは収束が長期化してしまわないか。 「監視社会の到来を招く」という懸念も理解はするが、今は非常時だ。 事後に必ず再度議論をするなどの条件を付けて、直ちにコロナを止める手を打てないか。 そしてこの動物たちは、国や自治体から「傷口の治療は『自粛』してくれ」と言われ、痛みに耐え、 悶 ( もだ )え苦しみながら、社会のために自分の意思で従っている。 問題解決に時間がかかると、動物たちは死んでしまう。 感染収束が早ければ早いほど、救われる芸術団体や芸術家の数は増える。 時間を要すれば逆になる。 劇場芸術を愛する方は、何としても感染防止に協力をしていただきたい。 コロナ問題には、この国から「プロの演劇人」を根こそぎ奪い去ってしまう怖さがある。 当事者の一人として強い危惧を感じている。 吉田智誉樹.

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【劇団四季公演中止】新型コロナウイルス感染症対応(4月3日追記)

劇団 四季 コロナ ウイルス

そして私は、浅利の次のような口癖を 憶 ( おぼ )えている。 日本の演劇界にはアマチュアが多いが、ここではプロフェッショナルが生きている。 羨ましいと思ったし、日本でもこう言えるようになりたいと心から願った」 また浅利は、敬愛したジャン・ジロドゥのパートナーだった演出家のルイ・ジュヴェの言葉、「恥ずべき崇高さ、偉大なる屈辱」を座右の銘としていた。 それは次のような内容だ。 演劇ほど色々な問題に 溢 ( あふ )れているものはない。 芸術的なことから、経済面までありとあらゆる問題を抱えている。 それにもかかわらず、本質的な問題はたった一つしかない。 それは「当たり」の問題だ。 今日の劇場の 賑 ( にぎ )わいがなければ、我々芝居者は主演俳優から裏方の一人まで生きていくことはできない。 したがって、当たりを取るためには、時に時代の流行に身を屈さねばならないこともある。 崇高な思いだけでは観客は集まらない。 演劇には、恥に 塗 ( まみ )れるような観客獲得の努力が必要になる。 或 ( ある )いはその時に屈辱を感じることがあるかもしれないが、これも偉大な芸術家の行為なのだということか。 健全な社会の良識と民力を信じ、 真摯 ( しんし )に向き合い、寄り添いながら芸術を営む決意ともいえる。 だから我々はこれまで、「プロの演劇人として生きる」という浅利の祈りを受け継ぎ、何度も恥に塗れながら、「当たり」を求めて全力で走ってきた。 映像産業やタレント業など周辺の仕事には脇目も振らず、もちろん資産で財テクすることも考えなかった。 どうしたら劇場でのお客様の感動を最大化出来るかを考え、そこに全ての資産とマンパワーをつぎ込んできたのだ。 演劇に注力した経営を続けてきた背景には、劇団創立者の思想がある。 コロナウイルスは、我々の、この「一丁目一番地」を襲った。 演劇にこだわり、プレゼンスを高め、更に発展、拡大を目指す経営を守ってきたことが、逆にウィークポイントになってしまった。 そして今日、コロナウイルスの感染拡大を助けるのも、この「満員の客席」、「当たり」なのである。 お客様のいない演劇はあり得ない。 ジュヴェの思想の通り、演劇は社会に寄り添う宿命を持った芸術だ。 芸術の尊厳や危機だけを訴え、自粛要請を無視して公演を続ける訳にはいかない。 劇団四季はいま、創立以来体験したことのない「背理」と向き合い、戦っている。 劇団四季には1400人の所属員がいる。 そして今、全公演は止まっている(4月28日現在)。 数か月間、売り上げの 殆 ( ほとん )どを失ってはいるが、我々には少々の内部留保がある。 これを頼りながら、いつか来る再開の日を信じて耐えている。 幸いにして借り入れはないし、稽古場などの資産もある。 しばらくは大丈夫だろう。 しかし事態が長期化すれば、いずれは劇団四季の継続を脅かすことになる。 詳しくは省くが、「ライオンキング」や「キャッツ」など何十年も連続して続いているロングラン公演は、四季のような運営方針でなければ実現できない。 想像したくはないが、万一我々が倒れたら、誰でも楽しめ、いつでも 観 ( み )に行ける舞台が日本から消えるかもしれない。 劇団四季のみならず、演劇を支えている芸術家たちが失われる可能性もある。 芸術の世界では、人材育成に 途轍 ( とてつ )もなく長い時間がかかる。 作家やデザイナー、ダンサーやシンガー、演奏家などは、生涯を懸けた長い修練を通して技術を身につけた人たちだ。 日々の訓練や表現の場を奪われれば、歌唱や舞踏、演奏などの技術は必ず失われる。 そして一度失ったものを取り戻すには、再び長い時間がかかる。 簡単には育たないし、代替も不可能だ。 フランスでは、民間劇場に対して上限500万ユーロ(約6億円)の緊急支援を実施するそうだ。 ドイツでは、連邦政府のグリュッタース文化大臣が、「文化は良き時代においてのみ享受される 贅沢 ( ぜいたく )品などではない。 ある一定期間、文化活動を諦めなければならないとすれば、それがどれほどの喪失であるかも、我々は理解している」と発言し、芸術、文化、メディア産業におけるフリーランス及び中小の事業者に対する大規模な支援を約束した。 日本でも芸術への救済策が検討されているが、欧米に比べると規模の小ささは否めないように感じる。 私が目にしたものでは、「文化芸術、スポーツイベントを中止した主催者に対して、観客が入場料の払い戻しを請求しなかった場合、放棄した金額を寄付金控除する税制措置」や、「コロナ収束後、官民一体型の消費喚起キャンペーンの実施。 具体策として、チケットを購入した消費者に対し、割引券などを付与する」などがある。 特に後者は、コロナ収束まで芸術団体が生き残っていたら、という前提付きの支援だ。 何をどのように救済するのかを決めるのは難しいに違いない。 国や自治体が、劇場芸術を直接支援するためには、恐らく様々な道程を歩まねばならないだろうことも想像は出来る。 その上でも、 敢 ( あ )えてお願いしたい点が三つある。 一つ目は、中止した公演への金銭的支援。 実害の5割でも構わない。 これが示されれば、無理に興行を行う団体は少なくなるはずだ。 結果として感染の収束を早めることにも 繋 ( つな )がる。 二つ目は、公演実施可能な条件を「ガイドライン」で示してほしいということ。 現下の状況では自粛もやむを得ないと思う。 しかし、状況が落ち着いて再開が議論されるようになった際には、どのような種類の公演が、どんな対策をして臨めば出来るのかを、ぜひ示してほしい。 これによって救われる業界や団体は必ずあるはずだ。 この二つは、「ぴあ」の矢内廣社長がインタビューで話されていたことだが、私も全く同感である。 三つ目は、感染防止策の厳格な運用である。 国や自治体には、収束を早める施策、努力を最大限のスピード感をもって、徹底的に行ってもらいたいと思う。 個人情報の扱い方や法制度の違いは分かっているが、アメリカや欧州、韓国、台湾などの施策に見習うべきものはないだろうか。 外出自粛を国民に「要請」し続けるという方法は、指示に忠実な日本人に合っているかもしれないが、街にはまだ人がいる。 このままでは収束が長期化してしまわないか。 「監視社会の到来を招く」という懸念も理解はするが、今は非常時だ。 事後に必ず再度議論をするなどの条件を付けて、直ちにコロナを止める手を打てないか。 そしてこの動物たちは、国や自治体から「傷口の治療は『自粛』してくれ」と言われ、痛みに耐え、 悶 ( もだ )え苦しみながら、社会のために自分の意思で従っている。 問題解決に時間がかかると、動物たちは死んでしまう。 感染収束が早ければ早いほど、救われる芸術団体や芸術家の数は増える。 時間を要すれば逆になる。 劇場芸術を愛する方は、何としても感染防止に協力をしていただきたい。 コロナ問題には、この国から「プロの演劇人」を根こそぎ奪い去ってしまう怖さがある。 当事者の一人として強い危惧を感じている。 吉田智誉樹.

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