金田 城跡。 金田城|日本全国の城をめぐる|つちやうみまる

金田城 【常陸】: 城跡散策の記録

金田 城跡

城跡は、1982年(昭和57年)3月23日、国指定の特別史跡「金田城跡」に指定されている。 【概要 】 『日本書紀』に、「大和国に・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城(かなたのき)を築く」と、記載された城である。 金田城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた古である。 667年(天智天皇6年)、・屋嶋城とともに築かれた。 また、金田城は、政権基盤の宮都を守る、瀬戸内海の制海権を守る屋嶋城とともに、国土の領域を守る最前線の重要なポイントであった。 金田城は下対馬の北端部にあり、浅茅湾の奥で北に突出し、三方が海に囲まれた標高272メートルのに所在する。 城壁の外周は自然地形の断崖を含めて約2. 8キロメートル、城内面積は約26ヘクタールである。 自然の要害を利用した選地で、外周城壁の全てが石塁で、高さ6メートルを超える石塁もある。 陸続きは南西側だけで、他は急峻な地形である。 国内で外郭城壁を石塁で構築しているのは、金田城・屋嶋城など少数派である。 そして、韓国釜山まで約50キロメートル、隣島の壱岐まで約70キロメートル、博多まで約120キロメートルである。 山頂からは北西方向に視界が開き、韓国南岸が視野にいる。 城門は、二ノ城戸・三ノ城戸・南門の三か所が開く。 一ノ城戸の城門は確認されていないが、張り出した櫓と水門が残存する。 一ノ城戸に加え、二か所の張り出しがあり、南側の張り出しは「東南角石塁」と呼称する。 城内の発掘調査では、五棟の掘立柱建物跡・柵列が一列・炉跡・土塁と門礎石などが確認されている。 出土遺物は、羽口・鉄滓・温石と各種の土器などが出土している。 白村江の戦いの翌年に、対馬・壱岐などに防人(兵士)が配備されている。 防人の語源は「崎+守」とされ、東国諸国から徴発された人々が、三年交代で九州の防備にたずさわっている。 対馬は、佐渡島・奄美大島に次ぐ面積を有する島である。 古来より大陸と日本列島を結ぶ海路の要衝にあり、南北は約82キロメートル・東西は約18キロメートル・面積は約709平方キロメートルである。 古代は上対馬と下対馬が一つの島であり、島の中央に位置する浅茅湾は西方に開き、屈曲の多いリアス式海岸である。 対馬の古代の中心は、金田城の南東の雞知(けち)であった。 【関連の歴史 】 『日本書紀』に記載された、白村江の戦いと、防御施設の設置記事は下記の通りである。 ・663年(天智天皇2年)ー白村江の戦いで、倭(日本)・百済復興軍は朝鮮半島で唐・新羅連合軍に大敗した。 ・664年ー対馬島・壱岐島・筑紫国などに防人と烽(とぶひ)を配備し、筑紫国にを築く。 ・665年ー長門国に城を築き、筑紫国にとを築く。 ・667年(天智天皇6年)ー大和国に・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城を築く。 この年、中大兄皇子は大津に遷都し、翌年の正月に天智天皇となる。... 金田城の口コミ情報 参議ロドリゲスさん[2018年12月26日] 登山口のポスト内に地図がありますが、それを頼りに歩いても迷いました。 旧日本軍の軍道は歩きやすいのですが、園道 特に砲台から一ノ城戸迄 は道なき道のような箇所もあり、行ったり来たりでした。 行き止まりも多いです。 もう少し看板があれば良いのでしょうが… 続百名城スタンプのある公民館の職員の方も「整備が追い付いていない」と仰っていました。 皆様は道に迷いませぬように。 Marky 武蔵守さん[2018年12月24日] 登山口まではバスやレンタカーよりもタクシーで行くのが一番無難です。 但し、戻りにタクシーを呼ぶ場合は、登山口は電波が届かないので、登山口から進んだ最初の絶景ポイントで電話することになります。 登城には女1人ではかなり勇気が必要だと思われます。 続日本100名城のスタンプは公民館にあります。 美津島地区公民館 対馬市美津島町雞知甲1287番地1 【】 大隅守上さん[2017年07月24日] 2年前の正月に行きました。 金田城迄 林道は途中から未整備になりますが 城の入り口迄車で行けます。 入り口に城の案内板がありますので 分かります。 June02さん[2015年09月09日] 個人的には、大満足です。 石塁の中でも特に、二ノ城戸は上端部から眺めるアーチ状のラインに垂直な野面積みが美しく、そして、階段下から望む全景はスクリーンの様でした。 一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸の画像をUPしました。 土塁と住居跡のビングシ山付近は道に迷い易く、二ノ城戸へ向かうには、ビングシ山の東屋を背に正面の道で、入口に埋もれている柱穴礎石が目印です。 城戸付近と見通しの良い場所以外は、は厳しく、登山道入口は圏外。 また、蝮?短い蛇とは2回遭遇。 若干有無 Dr. K 佐渡守さん[2014年03月26日] なお、駐車場はほんの数台分でしたが、雨天のため空き状態。 駐車場から三、二、一の城戸経由頂上をぐるっと回って約2時間、しかもかなりの山道なので装備は確実に。 わたしは出張ついでに寄ったためスーツと革靴で難渋しました。 K 佐渡守さん[2014年03月26日] 車道が狭く、一部落石がありました。 帰りになんとタイヤがパンク!痛恨!!!.

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金田 城跡

片道約1時間のトレッキングがスタート 今回は、登山口(蔵ノ内)から山頂まで約1時間のトレッキングコースです。 登山口から山頂近くの砲台跡までは、比較的、歩きやすい登山道が続いています。 明治時代に城山砲台が築造されたため、馬車道として整備されたのだそう。 黒瀬湾を一望できるポイント 登り始めて10分ほどで目の前に現れたのは、黒瀬湾を一望できるポイント! 登山道が断崖上を横切ったところに、この絶景ポイントはあります。 「少し疲れたな」と思っていましたが、この景色を見て疲れが吹っ飛びました。 付近には、他の植物にカギ状のツタをひっかけてはい上がるという「カギカズラ」というユニークな植物も。 独特な風情ある眺め「東南角石塁」 続いて「東南角石塁」に到着。 崩落している箇所もありますが、石塁と黒瀬湾がつくり出す、独特な風情ある眺めには、圧巻。 東南角石塁は金田城の東南端に位置する石塁で、角部分が前面(外側)に出ています。 これは唐・新羅の侵攻に備えて、防衛機能を高めるために「張り出し」ているのだそう。 7世紀につくられた古代山城の跡を目の前にし、不思議な気持ちになりました。 まるで万里の長城のよう「南西部石塁」 山登りのつらさにも慣れ、なかなかのハイテンションになってきた頃「南西部石塁」に到着。 南西部石塁は、東南角石塁とは少し趣が異なる石塁です。 森の中にある日本版・万里の長城のような風景を望むことができます。 また、南西部石塁の少し手前には、東屋があるので、疲れたらしばし休憩するのもいいでしょう。 ここで一息入れるか入れないかで、山頂までの疲れが変わってきます。 山頂まであと一歩の場所にある「砲台跡」や「観測所」 砲台跡 観測所 金田城は日露戦争の時に、再度要塞化された城山。 山頂まであと一歩の場所には、砲台跡や観測所などの旧軍施設が残っています。 古代から近代にかけて異国の脅威と対峙し続けてきた対馬の歴史を感じますよね。 まさに絶景! 見晴らし抜群な「山頂」 旧軍施設がある場所から山頂までは、急な坂道(獣道のような)を5分ほど登ることになります。 しかし、山頂から浅茅湾を望む景色は、まさに絶景! 7世紀に東国から召集された防人(さきもり)たちも見たであろう美しい景色を眺めることができ、大満足しました。 山頂には「城山」と書かれたプレートも置いてあり、記念撮影にもピッタリ。 明治時代の親王、北白川宮能久が植えたという金竹も。 ただ、山頂はぐるりと一周できるようになっていますが、柵などはありませんので、足元には十分ご注意を。 金田城跡トレッキングの注意点 登山道は石が転がっていて、やや滑りやすいので、登山靴か歩きやすいスニーカーを履いていくこと必須です。 また、城山にはトイレがありませんので、先にトイレを済ませてからトレッキングしましょう。 さらに、登山口付近は狭く、車は3台程度しか駐車できません。 登山口手前、約200メートルのところに、駐車できるスペースがありますので、そちらもご利用ください。 往復、約2時間のトレッキングでしたが、登山経験ほぼゼロの筆者でも十分楽しむことができました。 対馬の歴史と自然を一度に味わいたくなったら、ぜひ金田城跡をトレッキングしてみてくださいね! AREA•

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【特別史跡金田城跡】アクセス・営業時間・料金情報

金田 城跡

防人が守った古代山城・金田城(城山) 城山(じょうやま)は、対馬の中央に広がる浅茅湾に突き出した岩塊です。 今からおよそ1350年前、白村江の戦いに敗れた大和朝廷は、大陸からの侵攻に備えて対馬に古代山城・金田城(かなたのき)を築きました。 城山は日露戦争時にも要塞化され、古代と近代の「国防の最前線・対馬」を体感できるトレッキングコースです。 標高276m、山頂までの往復コースの場合、コースタイム(休憩除く)は往路は50分、復路は40分。 金田城跡は国指定特別史跡。 古代山城・金田城(城山)関連パンフレット 「対馬トレッキングガイドブック」をダウンロードできます。 登山口 登山口は対馬市美津島町箕形(みかた。 住所表記は黒瀬だが、実際は箕形から行く)にあり、対馬空港から車で15分、厳原港から30分。 ルートの詳細は下記YAMAPのページをご覧ください。 ルート図、写真が掲載されています。 駐車の際には、他の車に配慮をお願いします。 トイレ 登山口周辺にはトイレがないため、美津島町鶏知(みつしままちけち)の商業施設などでトイレを済ませましょう。 (1)県道24号線交差点 国道382号線(厳原港~対馬空港~比田勝港)から県道24号線(城山ルート)へ入る交差点。 目印は、十八銀行美津島出張所(正面)の建物。 (2)城山と竹敷の分岐点 県道24号線を道なりに進み、この分岐点を直進すると城山方面、右に進むと竹敷。 (3)洲藻バス停前 右側に直進すると城山方面、左に進むと白嶽。 城山周辺にはトイレがないので、左に5分ほど進んだところにある白嶽登山者用トイレを利用し、戻ってくるのも一案。 城山の岩塊 古代山城・金田城は、三方を海に囲まれた巨大な岩山である城山の地形を利用して築かれています。 (4)城山入口(県道24号線) 城山の岩塊を見上げながら進むと、城山入口・金田城跡の看板が見えてきます。 ここから先は道が狭く、マイクロバス以下の車両のみ通行できます。 箕形地区から見た城山全景 上記の城山入口から登山口に進まず、県道24号線を3分ほど走ると、箕形地区の海沿いの道路から城山全景を眺めることができます。 登山前あるいは登山後におすすめ。 城山登山口への道 県道24号線城山入口から登山口までは、舗装・未舗装の狭い道を1. 8kmほど走ります。 幅員がないため、安全運転をお願いします。 (5)金田城跡(城山)登山口 林道を進むと、車が数台駐車できる登山口へ到着します。 城山にはトイレがないので、要注意。 登山道の様子 城山には明治期に城山砲台が築造されたため、山頂近くの砲台跡まで馬車道(旧軍道)が整備され、格好のトレッキングルートになっています。 (6)黒瀬湾を望む 登山道が断崖上を横切り、黒瀬湾を眺望できます。 (7)東南角石塁 金田城跡は、石塁(せきるい。 石積み)と天然の断崖によって守られた7世紀の古代山城です。 ここから山頂方面と三ノ城戸方面に分岐します。 案内標識に従い、直進すると山頂方面、右に降りていくと三ノ城戸です。 南門 上記分岐点の左側に南門があります。 カギカズラ こちらは城山に多い植物のひとつ、カギカズラ。 他の植物にカギをひっかけています。 ヤマボウシ 6月ごろ、城山登山道ではたくさんのヤマボウシ(ハナミズキの仲間)を見ることができます。 (8)あずまや(東屋) 山頂方面と防人住居跡(ビングシ山)への分岐点。 案内板と東屋があります。 ここでひとやすみ。 (9)南西部石塁 うっそうとした森の中に、小さな万里の長城のような状態で古代の石塁が残されています。 国指定特別史跡の石碑 山頂近くの砲台跡に、「国指定特別史跡 金田城跡」と刻まれた立派な石碑があります。 (10)城山砲台跡 日露戦争時、金田城は再度要塞化され、砲台や軍の施設が整備されました。 国境の島は、古代も近代も、常に外国との緊張にさらされています。 (11)城山山頂 旧軍施設から5分ほど小道を登ると、山頂にたどり着きます。 防人も見たであろう水平線が、今も眼前に広がっています。 北白川宮能久親王の記念碑 山頂には、明治期の北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王お手植えの金竹が茂っています。 オプションルート 「城戸・大吉戸神社をめぐる」 時間と体力に余裕があれば、いったん山頂から東屋まで戻り、そこから大吉戸神社を目指してみましょう。 一ノ城戸・二ノ城戸・三ノ城戸などの遺構を観察することができます。 山頂から直接一ノ城戸へ下りることもできますが、道が悪く、標高276mから海沿いまで一気に下降することになるため、膝への負担が大きくなります。 (12)防人住居跡(ビングシ山) 二ノ城戸と三ノ城戸の中間地点に、ビングシ山があり、防人の住居跡が発見されています。 (13)二ノ城戸 二ノ城戸は、一ノ城戸(大吉戸神社)と三ノ城戸への分岐点ですが、三ノ城戸へ海沿いの道は岩盤が露出して道がわかりにくいため迷いやすいところです。 海辺へ降りて一ノ城戸・大吉戸神社などを見た後、ここから防人住居跡に戻り、三ノ城戸へ向かいましょう。 ダンギク 対馬の秋を象徴する花ダンギク。 全国的には非常に珍しいのですが、対馬では9月ころ全島で見られ、特に一ノ城戸周辺に群生しています。 一ノ城戸近くの石塁の下部には水門が設けられています。 大雨の際に決壊しないよう、水圧をうまく逃がすしくみが今も生きています。 古代の建築技術のレベルの高さを感じます。 (14)一ノ城戸 金田城の一ノ城戸が出現。 下半分は7世紀に築かれた石垣で、自然石を積んだ野面積みの手法。 上半分は後世に修復したようで、切石を積んだ状態になっているのがよくわかります。 (15)大吉戸(おおきど)神社 一ノ城戸から海岸へ向かうとまもなく大吉戸神社が見えてきます。 八幡神を祭り、城山の守護としたもの。 別名、中津八幡宮。 国防の象徴である大吉戸神社は、歴代対馬藩主・宗家の尊崇も厚く、宗家が納めた神輿が安置されています。 金田城碑 金田城の比定地は厳原町西部にもあり、江戸時代から論争がありました。 この石碑は、戦前の対馬要塞司令官が「古代の金田城はこの地であり、ここが対馬要塞の起源だ」と刻んだもの。 国の特別史跡に指定されたのは昭和57年ですが、そのはるか前にこのような石碑が建立されていたことに驚かされます。 ウラジロ 城山ではあちこちにウラジロ(シダの仲間)が自生しています。 普通種で、花も咲かせませんが、新緑の季節には美しい若葉を見せてくれます。 (16)三ノ城戸 城壁の内部に入るためには、数ヶ所の城戸(城門)を通る必要があり、一・二・三ノ城戸および南門の4つが確認されています。 帰路 三ノ城戸から急傾斜を登ると、(7)東南角石塁が見えた登山道に戻ります。 登山口までは、旧軍道をゆっくり下っていきます。

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