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『バナナフィッシュ』の海外の反応

バナナフィッシュ 号泣

「人間は運命をかえることができる 豹にない知恵をもって… そしてきみは豹じゃあない そうだろ?」 「バナナフィッシュ」という謎の言葉を巡るマフィアとストリートキッズの抗争が、国家の陰謀にまで発展していくという少女マンガらしからぬ骨太ストーリーと、アッシュと英二の絆がこの作品の魅力です。 高いIQと身体能力、美貌を兼ね備えたアッシュ。 容赦なく人を殺す冷徹さと年相応の無邪気さ…十代で二つの顔を持たざるを得なかったアッシュの生い立ちはかなりハードですが、彼の心を救うのは銃を持ったことさえない日本人の英二でした。 第8巻にヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』の豹の話が出てきます。 ストリートキッズのボスであるアッシュに臆せず対等に向き合う英二だから言える、友への言葉。 血腥い世界で見返りを求めない友情がいかに難しく、そして奇跡のようなことか。 この作品を読み返す度に涙し、マンハッタンに思いを馳せています。 ネタバレ Posted by ブクログ 2012年04月09日 永遠の名作!中学の頃に読んで泣いた。 絵柄が一巻と全然違うなあ…(笑) 最初はBLチックなのかと思ってたけど、英二とアッシュの関係はそんなものじゃ括れない。 美しく強いアッシュは欲され、羨ましがられるけれど、周りが思っている程幸せじゃない。 寧ろ彼は搾取されるばかりで誰も何も与えてはくれなくて、荒ん だアッシュにとって、何を求める訳でもなく寄りそう英二は新鮮で待ち望んでいた存在なんだろうなあ。 ラストは衝撃的だったけど、ああでなければ終われなかったとも思う。 アナザーストーリーの光の庭を読んで本当の完結。 漫画なんて娯楽だと言わせてくれない一作だと思う。 Posted by ブクログ 2009年10月24日 然19巻。 (他に関連作数点あり) 数あるコミックの中で(否、読んだ本全部の中でといっても過言でないかもしれない)一番魂を持っていかれた作品。 終わりは予測できていたにもかかわらず、喪失感で数ヶ月鬱ろいだ日々を送ってしまった。 これはもう少女マンガの域を遥かに超えていて、例えばBIGコミック辺りで掲載さ れていてもなんら違和感が無かっただろうと思われる。 特にラストシーンは圧巻である。 Posted by ブクログ 2009年10月04日 なんか言うまでもないと思う名作ですけども一応。 あー、アッシュがカッコよくて素敵なのは世界の常識だと思うんですけども私は最初から最後までユーシス派でした〜。 ずーっとユーシスユーシスゆって読んでたら、読んだこれ、中学か高校の頃でしょ。 基本的に理解してもらえないのね、ユーシス萌えって。 「なんで! キモチワルイじゃん!」とか言われるのね。 そこがいいんじゃないか!!!!!!!!!!!!!!!!! まあそれはさておき、話が面白いとか、キャラが魅力的とか、そんなところがポイントなのは勿論ですけども、これ、異文化交流っていうのかな…普通に接しても通じない相手っていて、どっちかどう悪いとかじゃなくて、育った環境が違うからそれは当たり前で、そういう相手と、近づくための過程や心境の丁寧さがとても好き。 だからこそ、私は最後はああなるべくしてなったかなって思うんだけどね。

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【BANANA FISH】アニメ第24話 感想「ライ麦畑でつかまえて」最終回…そして物語は光の庭へ

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発売から一週間遅れて手にしたので 先に写真集を見た人たちの感想は既に幾つか目にしていた。 その感想を受けてページをめくるのが少し怖いなという思いがあった。 どちらかというと涙もろい性質の自分は号泣するに違いないと。。 冒頭序文をフォロワーさんが訳した文と対比させながら読んでいく。 写真集の発売が1999年である事や英二がいつかのインタビューで 語っていた言葉が目に飛び込んでくる。 そして直筆だと思われる英二本人の筆記で書かれた一文を見て やっぱり涙が溢れて来る。 「本書を僕にとっての夜明けである友人Aに捧げる」 英二は12年経ってもアッシュへの変わらぬ想いを胸に秘めて写真を撮り続け 出来上がった写真集をアッシュへ捧げると綴る。 長く続く人生の中の僅か2年間を一緒に過ごした相手に対して その死後12年経ってもこれほどの想いを寄せる事の出来る英二が そしてそれほどまでに英二の心を捉えて離さないアッシュが あの時あの場所で出会えた事は本当に奇跡のような出来事だったんだなと思うと しばらく涙が止まらなかった。 話は少し現実的になるけれど R. ジュリアーニがニューヨークの市長に就任したのが1994年。 丁度「光の庭」があったとされる年の就任で きっと偶然なのだろうけど、ある意味とても象徴的だと思った。 彼は街の浄化作戦を掲げ、凶悪犯罪の撲滅および市の治安改善に大きな成果を挙げた。 これまで落書きだらけだった建物や地下鉄電車は一掃され ニューヨークという街はこれまでの汚れた犯罪まみれの街という汚名を返上し クリーンなイメージで語られるようになっていく。 ジュリアーニ以前と以後「光の庭」以前と以後の合致を頭の片隅において 写真集を見た自分は、ページをめくる度になんだかとても腑に落ちるというか 上手く言えないけれど「あぁそうか・・」という感覚になった。 アッシュが駆け抜けて行った、荒廃したニューヨークの街は綺麗に生まれ変わり 英二のアッシュに対する想いもまた転換期だったと思わされる「光の庭」 それまでの英二はアッシュの不在にばかり気を取られていたのだろうけど 自分が彼を想うあいだ、アッシュという存在は決して自分の中からは居なくならない。 実際に触れて声を掛け合う事は出来なくても彼はいつも今の自分と共にあると。 そしてそんな風に自分は生きて行くんだと前を向くきっかけになったのが光の庭だったと思ってます。 私は一眼レフカメラを所持していて 下手の横好きとも言えない程ではあるけど、写真を撮る。 そんな自分が言うのも口はばったいけれど カメラを構えてシャッターを切るというのは 本来なら止められない時間をほんの一瞬切り取る作業であり 切り取った瞬間に過去になる行為だと思っている。 だからこそ慈しむような目線で撮られたこの写真集を堪らなく愛しく感じてしまう。 アッシュの居た痕跡を追うような 観光客が入り込まない、この街に根付いた人たちが見ていた風景が広がるような そんな目線に思えて、悲しさよりも嬉しさと変かもしれないけど懐かしさを感じた。 まるでアッシュが生きていた時代を追体験させて貰ったような錯覚。 あの時、確かに彼はこの街に英二や仲間たちと居たんだと。 だって英二の撮った写真のどこにだってアッシュが佇んでいてもおかしくない。 きっとそこかしこにアッシュの存在を感じながらシャッターを切ったのだろうなと思えたので 私はこの写真集を見て号泣するだけでなく 英二の中で変わらず息づくアッシュを感じられたのが何より嬉しかった。 アッシュの写真がこの先新たに更新される事はもうないけれど 英二の切り取るニューヨークの風景にはこの先もきっとあの頃の姿のままのアッシュが 存在し続けるのだろうなと。 そんな風に感じた。 英二は自分の瞳で今起こっている現実世界を見てて カメラのファインダーというもうひとつの目で過去を見てる。 それは世の中と自分を隔てる見えないベールのようなもので きっと英二が死ぬまで続くんだと思う。 それを分かった上でそれでも生きて行く でもそんな人生も悪くないって光の庭後の英二なら思っている気がしてる。 だから英二の写真には見る者にある種の懐かしさや 本来そこにあるべき何かを訴えかける力があるんじゃないだろうか。 目に映るものだけが現実じゃないと。 見る者にそう思わせる余韻を与える写真。 そこに人は優しさを感じるのじゃないだろうか。 「おぞましいものも懐かしいものも全てがここにはある」 かつてアッシュが英二に教えてくれたように 英二の写真が私たち見るものに問いかけて来る。 『あなたにはこの写真はどう見えますか?』と。 アッシュが駆け抜けたニューヨークの街並みは今はもうない。 人も街も変わって行く。 それは決して悪いことではない。 この写真集の中には街並みだけでなく、当時彼らと共にあった人達にも 確実に時間が流れた事を教えてくれる。 流れは止まらない、それは若く初々しいシンとアキラの姿が象徴するように 時は流れ未来へと繋がって行く。 この写真集を見て感じた自分の想いを書き連ねてきたけど やっぱり上手く書けた気がしない。 ただこの写真集を見て泣くだけではなく 英二のアッシュへの想いをどこかうらやましく暖かな思いでみる事が出来たのが嬉しい。 バナナフィッシュという物語を9年掛けて追っていたあの時の私の想い。 それをこの写真集で肯定され、掬い上げて貰った気がしてとても嬉しかった。 写真集のラスト、優しげで澄んだ雰囲気を漂わせる英ちゃんを見て あれから長い時間が経ったけど、アッシュへの変わらぬ想いを見せてくれてありがとう。 あなたも変わらず元気でいて下さいと声を掛けそうになって・・。 ゆっくりとページを閉じた。

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BANANA FISH9話考察・感想!アッシュとユエルンの対比【バナナフィッシュ】

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ついにアニメ「BANANA FISH」が全24話で完結しました(号泣) 原作の人気もさることながら、 監督が「Free!! 」の内海紘子さん、シリーズ構成が「いぬやしき」の瀬古浩司さん、さらにアニメーション制作が「ユーリ!!! on ICE」のMAPPAということで、放送前から注目が集まっていたこのアニメ。 正直原作ファンとしては、24年近く前の原作をどのように表現するのか、多少の不安もありました。 しかし結論からいえば、 このアニメ化は最後まで原作に忠実に、 「BANANA FISH」の魅力全てが詰まった最高の作品でした!!! 今回は、 最終回(24話)の感想と、原作ファンとして感じた アニメと原作の違いを考察していきます。 各エピソードの考察は筆者の主観になります 目次• 最終回24話「ライ麦畑でつかまえて」の感想 放送の3日前から、戦々恐々としながら最終回を観ました。 原作を読んだ人なら、もちろんあの衝撃のラストを知っているからです。 漫画で読んだ時は只々悲しく、それでもアッシュの人生を考えるととても救いのあるラストだと感じていました。 ここまで原作を忠実に表現してきたアニメ化ですから、もちろん最後は覆らないだろうと予想していました。 でもやはり.... だめだ、変わらなかった(号泣) 漫画でアッシュが死ぬのをみて、アニメでもアッシュが死ぬのをみて、やはり覆ることはないのだと、胸が張り裂けそうな想いでした。 最終回は、「BANANA FISH」という薬物に関わっていた人は全て死に、残っていた唯一のサンプルも、薬の証拠も、すべて消えてしまいました。 汚い大人たちには「買春の容疑」という形で制裁が加わります。 月龍はシンという支えを得て、ブランカはカリブに戻り、英二は日本行きの飛行機に乗って終わります。 そしてアッシュは、シンの義母兄・ラオに刺され、英二の手紙を読みながら、図書館で安らかに息を引き取るのです。 本当に原作通りでした。 原作通りすぎて、本当は英二とアッシュが一緒にいられる新しいエンディングも期待していました。 しかし、ラオがアッシュを刺したのには 悲劇的な理由があります。 ラオは、仲間を取り戻したあとに約束していたシンとアッシュとの決闘(シンの仲間が英二を撃った時の落とし前)がなくなったことを知りません。 だからこのままアッシュが生きていたら「シンがアッシュに確実に殺される」と考え、犯行に及びました。 このあと辛いのはシンで、ラオは死に、尊敬するアッシュは自分の兄に討たれたー その後のシンのストーリーは番外編を収録したAnother storyで描かれています。 最終回は、OPの最後に 『石塚運昇氏へ感謝を込めてー』という一文が付け加えられました。 これは今年の8月13日に亡くなられた ゴルツィネ役の石塚さんへの追悼の意がこめられています。 挿入歌に1クールのOPを使ったり、最後の英二の手紙のシーンなど、最後までこだわった演出に感涙しました。 英二を銃と殺し合いの世界から遠ざけたい、と最後まで会わなかったアッシュでしたが、そこは英二の方が上。 手紙だけでも、「僕の魂はいつでも君と共に」と最後まで変わらぬ温かさで、アッシュを包み込んでいました。 最終回のタイトル 「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」は、「バナナフィッシュにうってつけの日」と同様サリンジャーの小説のタイトルです。 この小説の中で、17歳の主人公は、大人や社会の欺瞞を憎み、純粋で無垢な子供たちの性質を愛して、孤独を抱えています。 そして、"ライ麦畑で目一杯走り回って遊んでいる子供たちが、崖から落ちそうになったときに捕まえる、そういうものになりたい"と言うのです。 このタイトルは、EDの映像と繋がっていました。 もし子どもの時のアッシュが、英二にライ麦畑でつかまえられていたら... そう考えずにはいられません。 アッシュのラストはどうしても覆らないのだと思います。 それは、アッシュがこれまでに大量に人を殺していること、このまま生きていてもその神に愛された性質(詳細は後述してます)により、第2、第3のゴルツィネやフォックス達に人生を振り回されていただろうということ。 それでも正直にいえば、英二と共に全てをやり直して、2人幸せに暮らせるというエンディングが見たかったです (願いは叶わない... ) ちなみにシンは、吉田秋生先生のその後の作品「 」や「 」にも重要人物として登場しています。 これらの作品を読んで、アッシュの生きていた世界が繋がっていると思うとより感動しました。 シンのその後をみられる、これらの作品もアニメ化もしてほしいと切望しています。 原作ファンが感じたアニメ版のすごさ まず、あの長い原作を、 ラストまで丁寧に表現した 構成に感動しました。 もちろん、警察官・チャーリーとショーターのお姉さんの関係といった、原作でしか見られないエピソードもあります。 けれど「BANANA FISH」として大切なことは何も削られず、ここまでテンポよく仕上がっていることに、原作ファンとして大満足の作品となりました。 何より、1つ1つのシーンがとてもこだわって描かれているのが伝わってきて、本当に幸せな半年間でした。 アニメと原作を比べて感じた3つのこと 1. アッシュと英二の本質を描いたアニメのわかりやすさ アニメでは 「なぜアッシュが英二に好意を向けたのか」が、原作よりもわかりやく表現されていたと思います。 アッシュに魅せられた人は、次々とアッシュを傷つけていく道を選びます。 いわゆる、 愛と憎しみのような相反する感情を同時に持った状態=アンビバレンスです。 あの綺麗な少年を自分のものにしたい。 野生の獣のように、魔王のように孤高の美しさを持って君臨してほしい。 ゴルツィネの異常な愛はいうまでもなく、多くの敵キャラがアッシュに対して狂愛か畏怖のどちらかを抱きました。 しかしアッシュにとっては、ゴルツィネ達が求めたのは、そうしならなければ生きられなかったからこそ、強制的にならざるを得なかったアッシュの姿です。 アッシュの過去は、幼くして母親がいなくなり、7歳でレイプされ、唯一愛した兄も戦争へ行ってしまい、 さらに廃人となって帰ってきた兄のために治療費を稼ぎ、歪んだ性愛の対象として大人やゴルツィネに捕らわれ、男娼として、ストリートギャングのボスとして生きてきたという壮絶なものです。 ゴルツィネや月龍が魅了されたアッシュの姿は、必要に迫られて 次々と殻を纏っていったアッシュ。 それに対して、英二といるときのアッシュは、 17歳の少年として自分が生きたかった姿になれました。 アッシュの純潔の魂が、英二の誠実さと温かさに触れて、はじめて自分でも感じられるようになれたー 凄惨な過去がなければなれたかもしれない自分の姿を思い出させてくれた英二に、アッシュが惹かれるのは自然なことでしょう。 さらに英二は、現在のアッシュをそのまま受け入れ、何があっても自分を信じてくれた唯一無二の存在でした。 そんな英二に惹かれていくアッシュがわかりやすく描かれていたのがアニメ版。 原作でもそうですが、アッシュは最初に英二が「銃をみせて」と言ったときから、その無垢さに少しずつ引かれていったんだろうなと。 「人を殺したことがあるか」と問いかける英二を、「ガキだな」と笑うアッシュ。 それまでアッシュの世界にいた人間たちとは、全く異なる存在である英二への関心が伺えます。 最終回でも、この出会いのシーンが回想されました。 さらにアニメでは、マービンとオーサーに捕まった時に、 英二が壁を飛び越えた描写がとても丁寧に表現されていました。 (原作では数コマしかないのに) その後の病院でアッシュが言った「お前は飛べていいよな」という台詞。 ここで アッシュがなぜここまで英二に惹かれるのかという視聴者の疑問への答えが、一部表現されていたのではないでしょうか。 ) 病室で鳥を眺めるアッシュの様子や、羽ばたいていく鳥の描写も多いです。 19話でアッシュがゴルツィネに捕らわれ、徐々に感情をなくしていく時にも窓の外で鳥が羽ばたいていきました。 原作ではアッシュが英二に惹かれた理由は、読者の想像によっていろいろな解釈の余地があります。 だからこそ様々な解釈ができてしまう原作の通りでは、はじめて「BANANA FISH」を観る視聴者向けのエンターテイメント作品としてはわかりづらい側面もありました。 そのわかりづらさを、 すべての視聴者にわかりやすく表現したことが、アニメと原作の大きな違いだという気がしています。 アッシュと英二の「愛」を万人向けに昇華させたこと アニメ「BANANA FISH」をみていて、 こんなにアッシュの『お兄ちゃん』呼びが印象に残ったかな?と思いました。 原作でも、アッシュが英二を『お兄ちゃん』とからかうシーンはありますが、アニメほどではありません。 とくに中盤では アッシュと英二のお互いが「お兄ちゃん」という言葉を頻繁に使用していました。 これは原作では様々に解釈できる2人の愛情を、 兄弟愛・友愛の側面を強めて、 BL感を消そうとしたのではないか、と考えています。 特に10話。 ショーターの死後、ゴルツィネの館から逃げだす際に、捕らわれていた英二がアッシュに抱きつくシーンがありますが、BLか!と思わず突っ込みそうになったほど、お互いへの好意と色気がダダ漏れでした。 (筆者はBLでも良いと思いますが... ) これまでの困難や同じ悲しみを背負っての距離感とも考えられますが。 その後、アッシュと英二はお互いの人生や過去のトラウマを共有し、さらにかけがえのない存在となっていきます。 それに比例して、肌が触れ合うシーン(ハグしたり、頭なでたり)も自然と増えていきました。 見る人が見れば、BLと括られてしまいそうなシーンですが、 アッシュが冗談混じりに「お兄ちゃん」を多用していたのは、単純なボーイズラブとしてではなく、 兄弟愛のようなアガペー感を強めるため だったのでは?という風に考えるのです。 あの「お兄ちゃん」呼びがあったからこそ、その後の2人のハグシーンや、レイプされたアッシュを英二が抱きしめるシーンが、家族愛・兄弟愛も含んだような慈愛に満ちた印象になりました。 アッシュと月龍との違いは、 アッシュを愛してくれたお兄ちゃん・グリフの存在。 後半のEDでも、優しい笑顔のグリフがアッシュの回顧の中で大きく描かれていますよね。 原作では、後半はほとんどグリフについて触れられていませんが、アッシュの根底にはずっと影響を及ぼしている存在です。 アニメでは、アッシュと英二の関係は、穏やかな兄弟愛・親友愛としての側面が大きく解釈されているのかな、という気がしています。 最終回も最後まで「友達」というワードが強調されていましたしね。 ちなみに筆者は、原作の2人は、男女を超えて完全にお互いに愛しあっていたと解釈しています。 体の繋がりではなく、心からの繋がりです。 「アマデウス」という比喩の意味とは? 本作では 『アマデウス』という表現が、二度でてきました。 6話のアッシュの故郷・ケープコッドと、19話でゴルツィネにアッシュが捕まっている時のエピソードです。 『アマデウス』とは、元は モーツァルトの名前『ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト』からきており、 イギリスの劇作家であるピーター・シェーファーの 戯曲のタイトルでもあります。 作曲家モーツァルトと、同じく作曲家であったアントニオ・サリエリの人生を、史実を脚色してドラマチックに描いた舞台演劇 簡単にあらすじを紹介すると... モーツァルトと出会ったサリエリは、その圧倒的な才能に魅了されるが、モーツァルト自身の粗野な振る舞いに落胆し、その天才性を受け入れることができない。 敬虔なカトリック教徒であるサリエリは、神に愛された才能をもつモーツァルトを憎み、モーツァルトを破滅させようとする。 戯曲内では、サリエリがモーツァルトを毒殺したが、それでも凡人以上の評価を得られずに終わる。 ここでいう作中の『アマデウス』とは、 自分を超越した天賦の才能を持つものを、憎みながらも愛してしまうこと という 感情の比喩表現です。 あれ?この感情って... これまでアニメをみてきた人なら、ゴルツィネの異常なアッシュへの愛や、月龍のヒステリックな精神状態をみてピンときますよね。 実際に作中で用いられたシーンをみていきましょう。 一度目は第6話。 アッシュの故郷・ケープコッドで、マックスが伊部さんをからかうように言った「アマデウス症候群だな」という台詞です。 ここは原作の通りで、 伊部「オレはもう1度あいつを跳ばしてやりたい。 そのためならなんだってしてやりたいんだ」 マックス「きみは彼になりたかったんだろう?違うか?」 マックス「愛しくて愛しくて憎い。 オレのアマデウス!」 というシーン。 アマデウス症候群という病名はありませんが、 伊部さんが、まるで神に愛されたかのような英二の棒高跳びの才能を尊敬しているとともに、彼の才能を愛し、嫉妬しているという状態を比喩しています。 伊部さんは、英二の才能を写真に納めてカメラマンとして成功したので、英二がいなければそのカメラマンとしての才能もなかったかもしれないということですね。 二度目は第19話。 英二をブランカの手から逃がすため捕らわれたアッシュに、ゴルツィネが言った台詞の中にでてきました。 ゴルツィネ「今夜はオペラを観にいく。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト「フィガロの結婚」、お前も好きだったろう。 」 ゴルツィネ「アマデウス、まさに神の器だ。 そしてお前もな。 」 ここでいう『アマデウス』は、自分だけの神の器であり、特別な存在であるアッシュを表しています。 『フィガロの結婚』はモーツァルトが作曲したオペラです。 このオペラ自体は、従者の少年が、女中との結婚をきっかけに雇い主である伯爵に一泡ふかせるという喜劇ですが、その実、貴族(生まれながらの特権階級)を痛烈に批判しているとも言われています。 この表現を考えると、主役の2人が様々なキャラクターからの『アマデウス』という感情の対象になっていることがわかります。 最も『アマデウス』の被害者となったのは、言うまでもなくアッシュでしょう。 神に愛された魅力・才能をもつアッシュは、幼い頃から人生を狂わされてきました。 嫉妬ゆえの愛が「加護欲」に向いた伊部さんと、「支配・独占力」に向いたゴルツィネ。 正反対な運命の2人を、これでもかと対比しているようで涙がとまりません。 ラオに刺されていなくても、やはり「アマデウス」としての魅力をもつアッシュには悲劇的な人生が降りかかった可能性があります。 神に愛された天才は、総じて悲しい最期を迎えるー そう考えれば、英二の温かさに包まれて18年間の人生を終えられた、あのラストが一番幸せに終われる瞬間だったのかもしれません。 (わかっていても辛いですが... ) アニメ「BANANA FISH」の総評 原作の大ファンな分、期待も不安も大きかったアニメ化ですが、 とにかくスタッフさんすごかった!!! (ぱちぱち) 全話すべてが、バナナフィッシュ愛に溢れていたのを感じました。 本当にありがとうございました!!!!!! もし筆者がこのアニメ化に点数をつけるとしたら、 100点満点中95点です。 ここまでベタ褒めしといて「100点じゃないんかい!」って感じですよね…(笑) 原作を読んでおらず、アニメではじめて知った作品であれば間違いなく、 「120点満点!最高の作品だった!! 」と絶賛していました。 その理由は、 バナナフィッシュは人の解釈でストーリーが変わってくる作品だと感じたからです。 実際に原作のラストも、未だにハッピーエンドかバッドエンドか議論されるくらい。 上記で考察した英二とアッシュの関係性や、英二の「鳥」などの表現。 もし別の監督さんやスタッフさんが作ったら、どういう風に表現されるのかな...? と思ってしまったのです。 このアニメ作品はこれで、最後まで素晴らしい作品でしたが、やはり20年後、30年後... もし違う未来のアッシュ達に出会えたら... とどうしても願ってしまいます。 原作を読んだときは、最後のアッシュの死を3日間は放心状態で引きずってしまったのですが、 今回もバナナフィッシュロスを涙をたたえながら噛み締めることになりそうですorz 最後に、原作にはアッシュの死から7年後を描いた番外編があります。 アッシュの死の影を抱えながらNYで暮らす英二とシンを描いた『光の庭』• ショーターとアッシュの少年刑務所の日々を描いた『ANGEL EYES』• ブランカとアッシュの出会いを描いた『PRIVATE OPINION』 などの短編がまとまった珠玉の一冊です。 英二たちのその後や、ゴルツィネの元にいた時代のアッシュが描かれていますので、ぜひアニメ終了の余韻に浸りながら読んでみてください! 最後までご覧いただき、ありがとうございました! アニメ「BANANA FISH」は、 で配信中です。 国外のAmazonでも観られますので、ぜひ全世界のBANANA FISHフリークのみなさんご覧ください。

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